
夫婦の関係が、子どもの気持ちを曇らせていました。
我が家には、3人の子どもがいました。
自分に厳しい夫は、社会的に立派な人であり、常識人であり、
子どもにも厳しい父親でした。
子どもが思春期になる頃には、
反抗する長男とは父子喧嘩が絶えず、
「親に向かって、その口のきき方はなんだ!
親の言うことが聞けないなら、出て行け!」
と、昭和父像の伝統を踏襲。
長男は、「それなら出て行く」
と、夜中に8キロほど離れた祖母の家へ歩いて行ったものでした。
途中、怒りに任せて、コンクリ壁を殴って血だらけになりながら。
そんな毎日が続いたので、長男は高校から
全寮制の学校へ進み、家を出ることになりました。
次男は自室の扉をしめっぱなし。
そんなことがあっても、3番目の娘は、
父親とは仲良くやっていると思っていたのですが
娘が高校生になったころには、
仕事先にいる私に
「何時に帰る? お父さんと二人になりたくない」
と、ラインが入るようになりました。
私たち夫婦の関係は、子どもたちの心に
大きな影を落としていたのす。
娘に
「この家の子に生まれて、幸せじゃない。
自分に自信が持てない」
と言われた時には、私も泣きたい気持ちになりました。
「距離をとる」という決断
次男の就職を期に、次男は一人暮らしを始め、
私と娘は、夫の家を出て、別居することにしました。
離婚の前段階としての別居ではなく、
当時、断捨離を学んでいた私は、
「間」をとる
「距離をおく」ということで
何らかの変化が起こることを知っていたからです。
別居当初は、私の心も、怒りや悲しみで覆われていましたが、
時間、空間が、私の気持ちを変化させてゆくこと
夫の気持ちを変化させてゆくこと
娘の気持ちを変化させてゆくことは、間違いないのです。
変化を恐れず、変化が起こったなら、
その時に最善と思われる方法を選べば良い。
娘と私、猫2匹。
ピンクの壁紙を貼り、床を貼り、棚を作り、
贅沢ではなけれど、心地よい空間で
1つ1つ丁寧に暮らす。
コロナ禍ではありましたが、
嫌なことが、ひとつもない幸せな毎日が始まりました!
夜中に、お風呂から
おおらかな娘の歌声が聴こえてくる。
なんと、平和だったことでしょう。
そうした暮らしは、自然と
私と娘の心を癒してくれました。
この4年、いろいろな気持ちが交錯しながらも、
夫との関係を絶ち切らないように、私自身も努力をしました。
娘との優しい生活を、影で支えてくれたのも、
かつてはさんざん、無視しあっていた夫だったのです。
その真意は計り知れませんけれど。^^
心を癒す 距離と時間
地方移住に憧れていた娘は、3日前に、私と暮らした家を出ました。
「人に愛され、信頼される自分」を信じることができるようになって
一人立ちして行きました。
彼女の学費を払い切ってくれた父親へ
「実家を出たころは、とても辛かったけど、
今思い返せば、お父さんとのことは
嫌なことばかりじゃなかった」
そんな言葉を残して。
それが、今の娘の言葉ですが、
きっと、あと何年か経てば、
また、変わるはずです。
お父さんに感謝できるようになる時も来るでしょう。
夫婦は、子どもたちの心のベース基地。
子どもが巣立った後でも、役割は残っています。
子どもが育ったその後で、
別居、卒婚、修復、離婚
どれを選んでも
私たちが、子どもの心のベース基地であることに
変わりないですから。
「間」を取れば
「気」が変わる。
せっかく熟年になったので、
焦らず、時が満ちるのを待ちましょう。
あなたのマリッジライフを応援します!
ティダテラス 照子